唄のじょうずな祖母が、音楽好きのバックボーンになった。高校入学と同時に ブラスバンド部に入り、高校吹奏楽部トップの指導者であった先生から和声、 リズム、音楽の基礎をたたき込まれる。サックスを担当するが、 本当にやりたかったのはベンチャーズを聴いてかっこ良いと衝撃を受けた ドラムスで、先生に見つからないよう密かに練習していた。クラブの先輩に アメリカン・フォークソングのバンドに誘われ、初めてギターを手にする。 1969年、京都産業大学在学中「マヨネーズ」を結成。70年には 東芝EMIからレコードデビュー。同年、はしだのりひことクライマックスに参加。 きたやまおさむ作詞の『花嫁』を作曲、ミリオンセラーとなる。71年、 同曲でNHK紅白に出場。73年、城田の紹介でザ・ナターシャー・セブンに 参加。マンドリンを始める。ザ・ナターシャー・セブン解散後、 フィールドフォークの草分け笠木透らとフォークスを結成。本格的に 作曲に取り組みフォークス時代に88曲をつくる。92年、SAMを結成。 97年、きたやまおさむ作詞の「さよなら、青春」が 東芝日曜劇場『理想の上司』の主題歌に取り上げられる。
初のソロアルバム「ぼくの古いギター」城田じゅんじとの デュオアルバム「力をあわせて」を発表。98年、 夏の「宵々山コンサート」においてザ・ナターシャー・セブンが 期間限定の再結成を行い、コンサートを再開。99年4月、 デビュー30周年を記念したコンサートを京都、東京でひらく。 2枚目のソロアルバム「別れのうた」、30周年ライブアルバム 「LIVE この想い」、宮崎勝之とのデュオアルバム「Battle One」を 相次いで発表する。SAMを脱退し、ソロ活動、 ピックアップメンバーによる『Shogo BRAND』を始動。ソロのライブ、 コンサートの他、アメリカに渡った城田とのツアーをはじめ、 マンドリンプレイヤー宮崎勝之とのデュオ、有山じゅんじ、 ウェバリ−ブラザース(中川イサト、高田渡、坂庭省悟)らと 全国的に活動を展開。2000年、城田じゅんじと 初めてのビデオ「Fifty-Fifty Live」をつくる。