父は全国有数の弁護士であったが、無類の Out Of Tune。 音楽好きの母親はそれを懸念してピアノを習わせる。4才から始めた ピアノレッスンであったが、7、8才の頃にはすでにバッハショパンなどを 自身のアレンジで弾いていた。母の突然の死によりピアノから離れる。 時に10才。中学生の頃、ベンチャーズを聴いてギターを始めるが、 1〜2日で主要なレパートリーはほとんどこなしていた。やがて、 5弦バンジョーと出逢い、レコードで聴いた曲をピアノで弾いてから バンジョー用に直すなどの作業を難なくこなしていた。
1971年、京都産業大学時代に高石ともやと出逢い、 ザ・ナターシャー・セブンを始める。以後日本における ブルーグラスミュージックの発展に貢献。ザ・ナターシャー・セブンを 脱退後、86年渡米。現在はアイリッシュミュージシャンとして活躍中。 96年、アイリッシュのソロアルバム『Sally Gardens』 99年『Heathery Breeze』をリリース。 最近は、「アイリッシュ・ミュージック・マガジン」 (アイルランド発行)にも、アイリッシュの主要ギタリストとして、 ピエール・ベンスーザンなどと並んで名前が挙げられるなど、 世界的にその名が知られている。1998年の 全世界ケルティック・ミュージック・カテゴリーにおいて、 彼の参加するバンド"Jody's Heaven"のアルバム 『Garden Of Butterflies』がブロンズプライスを獲得。 今後の活躍がますます期待される。